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東北地方太平洋沖地震の時 [韓国旅行]



この度の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、
被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
1日も早い復興のために、私も私のできることをしていきたいと思います。
皆でがんばりましょう!


私は埼玉在住ですが、今回の地震の時、幸か不幸か、韓国に居ました。

2011年3月11日(金)
普通なら、会社で仕事してるか、営業出てるかな時間でしたが、
半分仕事でこの日の昼前に羽田から出国してました。

社長と一緒だったので、地震直後に会社から電話が来ました。

空港からホテルに移動中だったのですが、まずはすぐに情報収集。
地震の事実を確認後、家族に電話してみるも、全く通じず。

一旦skype確認するも、弟はログインしていなかったので、
比較的家の近い友達に連絡を取ってみると通じた。
でも、ケータイじゃなくて、iphoneアプリのviber。
とりあえず、埼玉東京辺りでは、建物が倒壊するほどじゃないってことが
確認できた。


地下鉄で移動していたのだけど、
とにかくホテルに行ってネットとテレビで情報を得たかったので、
タクシー移動に切り替え。

そこで、skypeをもう一度確認すると、弟がログインしていて、
弟も母も無事だと言うことが確認できた。
母がちょうど家を出る時間帯だったので、家を出る前で、
2人一緒なのが確認できたので、ひとまずは安心できた。

タクシーに乗ったのは、地震から1時間は経ってないくらいだったが、
タクシーのおじさんはなんも知らなかったし、普通のラジオ番組は
そのままで、臨時速報なんかは入っていなかった。

ホテルについて、ホテルの人も知らなかったし、
ビジネスセンターのPC使ったけど、そこの人も知らなくて、
わたしが言って、初めてニュースを確認して知ったくらいの時間だった。

ホテルでは、NHKが見れたので、すぐにNHK。
それから、ツイッター、mixi、facebook、ニュースポータルなどから
情報収集。

社長は会社に指示したりで、とにかく、何ができるわけではなかったけど、
2人でバタバタしてた。


社員の無事がほぼ確認できて、退社指示をして、
家の遠い人に関しては、食事と寝る場所の確保とかいろいろいろいろ、、、

それで、もう、私たちがソウルからできることなんて、もう無いし、
予定を消化しようと。

でも、その前に、社長が予定繰り上げて帰国しようかなって言い始めて、
というか、まあ、当然のことなんだけどw

航空会社(ANA)に連絡するも、日本は全く繋がる気配なく。
韓国のANAの事務所の電話番号を韓国人の友達に調べてもらって電話をかけた。
とりあえず、翌日の夕方のチケットを確保することができた。
飛行機飛ぶかは分からなかったので、予約だけ入れておいた。


それから、まあ、視察に行く予定だったところをめぐって、
食べる予定だったものもほんの一部しか食べれなかったけど食べて、
アカスリ行きたい!って言ってた社長のリクエストはかなえられないまま、
その日の予定終了。


2011年3月12日(土)
この日は、展示会の視察に行って、夕方空港へ。
予定変更不可のチケットだったので、
片道で45万ウォンくらいになる予定だったんだけど、
発券カウンターで事情話したら、地震のせいだから、
このまま変更にしますって言ってくれて、
差額も何もなく、社長は日本に帰りました。

空港は、若干チェックインに時間がかかったように思ったけど、
すごい混乱とかはなかった。

でも、到着ゲートには、テレビ局が取材に来てた。
それから、いつもどおりに日本からの観光客を迎えにピックアップスタッフが
集まっていた。
そこに来る日本人を少しウォッチングしてたんだけど、
礼儀のなってない人が多くてがっかりだった。
それから、こんな地震のあった翌日にもかかわらず、
誰だかのファンミがあって、それに来る日本人も多いようだった。



2011年3月13日(日)
帰国予定の前日。

土曜日に明洞に行って、買い物済ませようと思ってたんだけど、
結局疲れて行かなかったので、この日やっと明洞へ。
そして、やっと友達に連絡して、会うことに。
留学してた時に同じクラスだった子が、ソウル大に交換留学のため
また韓国に来てて、もうそろそろ帰国になるので、最後のチャンスとも思ったので。

ベトナム、中国、香港、日本の4人で会った。
やっぱり友達に会うと安心できた。
そして、こうして会えたことがすごく幸せなことだな~って思った。


2011年3月14日(月)
計画停電が始まるとかで、もし、ほんとに停電すれば、
私が帰宅する時間帯はかも?
でも、エリアがよくわからず。。。
とにかく、ご近所情報に頼りつつ。
節電の為にも実家に疎開するか?
部屋のデカい鏡が割れてるかもしれない自宅へ帰るか?
最後の最後まで決められず。

路線調べます!って連絡くれた後輩や、社長からの情報と
iphoneで情報収集しながら帰国の途へ。
物資が無い!という情報から、とりあえずホームプラスへ。
でも、キャリーが小さかったので、そんな大したものも買えず。
電池、ラーメン、懐中電灯、殺菌ジェル、ティッシュなど購入して詰め込み、
自分のお腹にもソルロンタンを詰め込む。

リムジンバスに乗るためバス停に行くも、
電話でバスの位置を確認したら、全然来なそうだったので、
タクシーで金浦へ。

タクシーのおじさんに、金浦の国際線までと伝えると、
「日本に行くみたいだね」と言われた。
なので、「日本に帰るんです」って言うと、
運転手さん「???」
「だから、日本に帰るんですよ。行くんじゃなくて。」と言うと、
やっと理解したようで、
「え?日本人なの??地震大丈夫だったの?」って聞かれた。
しばらくしゃべって、あとはラジオ聴きながら空港へ。

東大門区庁からは30~40分で着くのね。
予定よりすごく早く着いたので、すっごく手持無沙汰に。。。

やっぱり、帰るの止めようかな?とか、ここにきて、
帰るのが少し怖くなった私がいた。

チェックインカウンターは、2日前より全然空いてた。
飛行機もガラッガラだった。
そんでもって、みんな地震のことなんか知らないのかな?って思うくらい
のんきな会話してた。
そんな中、自分だけまるで戦場に行くのか!!?ってくらい緊張してたから、
後から考えると、なんか笑えるw


まあ、無事羽田に着いて、電車はたぶん混んでるし、ダイヤ乱れてるしってのは
ネットで見て知ってたし、リムジンバスがあるのを確認してたので、
真っ先にリムジンバスカウンターに。

自宅方面も動いてたし、実家方面も動いてた。
実家方面が10分早く出発するってことで、実家疎開をこの時点で決めた。

まあ、実家へ帰ったので、とりあえず安心した。
自宅が心配ではあったけども。。。



と言うわけで、まとまらない内容をなんとか書いてみた。

私は11日から14日の3泊4日で行ったんだけど、
14日からワーホリ(WH)に来る予定だった友達と、
それに便乗して11日から来ると言った中国人と会う予定だったけど、
WHに来る予定だった子は、予定を延期した。
それから、中国人の友達とも、結局は会えなかった。
会わなかったと言ってもいいかも。


3泊4日、ほとんど寝られなかった。
寝たは寝たんだけど、いつの間にか寝てて、はっと起きるの繰り返しだった。
社長が帰国してからはさらに不安だったし、
連絡すれば会える友達はいたのに、そんな気にはなれず。
でも、最後の最後に、友達4人でご飯を食べに行った。



地震が起きた後、カカオトーク、facebookでみんなが安否確認してくれた。
香港、中国、韓国、インド、カナダ、アメリカなどなど、
各地から「大丈夫?」って聞いてきてくれて、
大丈夫と答えると、
「家族も大丈夫?」
「よかった!」
「大丈夫!」
「心配するな!」
って言ってくれて、どれだけ心強かったか。


日本からは、もちろん「大丈夫?」ってメールもあったけど、
「ちゃんと帰れる?」
「帰るの延期したら?」
など、連絡を頂きました。

「停電するから気をつけてね」
「電車止まってるかもよ」
「空港はパニックかも」
「電池、トイレットペーパーなどお店から無くなった」
「空港からの路線調べるよ」
など、帰国に際してもたくさん心配して、サポートしてくれた。

自宅の状況をお隣さんに確認すると、大丈夫だと。
お隣さんはは、息子さんが秋田に居るんだけど、連絡が取れないでいたので、
わたしは、秋田方面の情報収集して教えてあげた。

海外の友達からたくさんメッセージをもらったことで、
自分も日本に居る外国人の友達が心配になった。
計画停電のことなど、日本人でも混乱するくらいだったので、
日本に住む外国人の友達が心配だったから、日本で連絡の取れる友達に
ちゃんと教えてあげるようにお願いした。

まあ、原発の問題が浮上して、ほとんどは帰国しちゃったけどね。

もし、ネットとか使えない状況だったら、その時はやりとり出来なかったけど、
心配してくれるその気持ちがとってもうれしかった。

ネットが嫌いなのにネット業界で仕事をしてたけど、
今回はITってすごいな~って改めて思った。

広範囲にわたる災害だったため、取材が行きとどいてないところがたくさんあったし、
そういうところからの情報はツイッターなどで知ることができた。

さらに言うと、日本は世界のどこよりもモバイル文化の根づいた国なので、
ケータイからリアルタイムに現場からアップされた情報があふれていた。
これは、他の国で同じ状況になったとしても、
ここまで細かく情報を得ることは出来ないと思う。



被災地じゃなくても、心のバランス崩す人が出てきていると聞く。
確かに!と思う。

韓国に居る間中、ほんとに不安でおかしくなるかと思った。
どうにか平気だったけど、帰国した翌日仕事して、家に帰ったら、、、
38℃越えの高熱が出た。
停電の中、病院に行くという貴重な体験もした。
それから、ず~っと体調悪くて、今週になってやっと治ったかな?と思う。


思ったことベースでしかつづれてないですが、これが私の今回の震災体験です。




タグ:地震
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